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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)5132号 判決 1976年5月27日

原告

有限会社 日比谷園

右代表者

石川雅康

外一名

右訴訟代理人

服部成太

外四名

被告

東京都

右代表者知事

美濃部亮吉

右指定代理人

海野延宏

外一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は「被告は原告有限会社日比谷園に対し一一〇九万〇六〇〇円及びこれに対する昭和四八年七月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。被告は原告宮路智謙に対し五八八万五二〇〇円及びこれに対する昭和四八年七月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

一、原告有限会社日比谷園(以下「原告会社」という。)は別紙第一物件目録の建物のうち別紙第二物件目録(一)記載の部分(以下「本件建物(一)という。)を株式会社国際協力会館から賃借してレストラン業を営んでいたものであり、原告宮路は別紙第一物件目録の建物のうち別紙第二物件目録(二)記載の部分(以下「本件建物(二)という。)を同会社から賃借して麻雀貸席業を営んでいたものである。

二、被告は別紙第二物件目録(三)記載の土地を公園とすることを立案し原告らに対し本件建物(一)及び(二)から立退くことを要求した。原告らは昭和四八年三月一七日被告との間で左の内容の立退補償契約を締結して右要求に応じた。

1  原告会社関係(甲第四号証の立退補償契約書による)

(一)  立退期限を昭和四八年三月三一日とし(同契約書四条一項)立退き等に対する補償金を一億二一七万八三〇九円とする(同二条一項)

(二)  原告会社が本件建物(一)から立退き移転を完了した後被告に対し前記(一)の補償金を請求した場合には、被告は右請求の日から三〇日以内に原告会社に対し次のようにこれを支払わなければならない。(同三条一項)

(1) 七万八三〇九円は現金で支払う。

(2) 一億二一一〇万円は被告が原告会社に通知する「東京都交付公債発行要領」(以下「発行要領」という。)に基づき被告の発行する交付公債を交付し支払う。

(三)  前記(二)の(2)の交付公債の額面価額とその発行価額との間に差金を生じたときは被告は原告会社に対しこれに相当する現金を当該交付公債の交付の際に支払う(同三条二項)(以下「差額補償条項」という。)

2  原告宮路関係(甲第五号証の立退補償契約書による)

(一)  立退期限を昭和四八年三月三一日とし(同契約書四条一項)、立退き等に対する補償金を三三二二万三五六五円とする(同二条一項)

(二)  原告宮路が本件建物(二)から立退き移転を完了した後被告に対し前記(一)の補償金を請求した場合には被告は右請求の日から三〇日以内に同原告に対し次のようにこれを支払わなければならない(同三条一項)。

(1) 二万三五六五円は現金で支払う。

(2) 三三二〇万円は被告が原告宮路に通知する発行要領に基づき被告の発行する交付公債を交付して支払う。

(三)  前記(二)の(2)の交付公債の額面価額とその発行価額との間に差金を生じたときは被告は原告宮路に対しこれに相当する現金を当該交付公債の交付の際に支払う(同三条二項)(以下「差額補償条項」という。)

三、前記二の補償契約にしたがい被告は原告会社に対し現金七万八三〇九円及び額面総額一億二一一〇万円の交付公債を交付し、原告宮路に対し現金二万三五六五円及び額面総額三三二〇万円の交付公債を交付した。

四、原告会社は交付された交付公債を証券市場で売却換金したところ売得金は一億一〇〇八万七七〇九円に過ぎず(不足分一一〇九万〇六〇〇円)、また、原告宮路は交付された交付公債を証券市場で売却換金したところ、売得金は二七三一万四八〇〇円に過ぎなかつた(不足分五八八万五二〇〇円)。

五、被告の負担する本件補償金債務は金銭の支払いを目的とするものであるから、現金又は自己宛の銀行振出の小切手の交付によらなければこれを履行したことにはならない。公債が現金のように支払手段として認められていない以上、交付公債は補償金の「支払いに代えて」ではなくその「支払いのために」交付されるに過ぎない。そして、立退きにつき現実に資金を必要とする者は、これを証券市場において換金せざるを得ず、時価が額面価額より低いときはその差額相当の損害を蒙ることになる。この差額分が地方公共団体である被告によつて現実に補償されない限り、憲法により保障されている国民の財産権は被告のため不当に侵害されることになる。原告らに通知された発行要領によれば、本件の交付公債の発行価額は「額面一〇〇円につき一〇〇円〇〇銭」と記載されてあり、この記載に文字通り従つて差額補償条項を適用すれば、原告らは全く差額補償を受け得ないことになる。このような不当な結果を招くに至つたのは、右に述べた国民の財産権保障の趣旨に則れば、発行要領における発行価額を時価とすべきであつたのに、被告の用地買収担当者は自己のノルマ達成のため被告の財政負担軽減の名のもとに原告らに対し有無をいわさぬ態度で発行価額を一〇〇円とする画一的処理をしてしまつたことによるのである。従つて、差額補償条項にいう「発行価額」とは「時価及び発行価額」を意味するものと解し、前者より後者が低ければ被告は差額を補償すべき義務があるものというべきである。

六、本件立退補償契約は一見原被告間の任意の契約のごとくみえるが、真実は被告の用地買収係官が原告らに対し「公園緑地法の施行決定により強制収用してしまう」などといつて強制収用の実施をほのめかしつつ締結されたものであるから、その解釈にあたつても土地収用法を準用すべきである。同法七〇条によれば損失補償は金銭によることを原則とし、収用委員会の裁決があつた場合にのみ替地等による補償が許されるに過ぎない。このような裁決のない場合は被収用者の損失は金銭によつてのみ補償されるのである。この原則は、本件立退補償契約にも準用されるべきである。

七、以上述べたところによれば被告は原告らに対し補償額全額を金銭(現金)によつて補償すべきであるのに、前記四に述べた時価と発行価額の差額を支払わない。よつて、被告に対し原告会社は右差額一一〇九万〇六〇〇円、原告宮路は右差額五八八万五二〇〇円及び右各金員に対する差額発生後である昭和四八年七月七日以降完済に至るまで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払いを求める。と述べた。<以下省略>

理由

一原告らの営業及び本件建物(一)(二)の利用関係に関する請求原因一の事実、本件立退補償契約に関する同二の事実、同契約による被告から原告らに対する現金及び交付公債の交付に関する同三の事実は当事者間に争いがない。

二<証拠>によれば、本件立退補償契約締結の経緯等について次の事実が認められる。

(一)  被告の用地担当主査藤枝昭行は昭和四七年五月下旬頃から原告会社及び原告宮路の代理人宮崎正吉(当時原告会社の専務取締役、原告宮路の後見監督人)との間で請求原因二記載のように本件建物(一)(二)からの立退要求とこれに伴う補償関係について交渉を始め、幾多の経過を経て昭和四八年二月一二日宮崎に対し請求原因二記載のような補償金支払いについての最終提案をした。

(二)  これに対し宮崎は弁護士河野宗夫に交渉を委託したので、藤枝は河野弁護士及び宮崎に対し通常の立退補償の際に用いられる標準契約書を示し、補償は一〇万円に満たない端数部分は現金によるが、これを除いては交付公債の交付によること、右補償は立退完了後になされるのが原則であること、交付公債の額面価額と発行価額の間に差額を生じたときはその分については被告により支払われること(差額補償条項)を説明すると共に、立退期限として同年三月末日とすることを伝え、更に、当時被告発行の交付公債の証券市場における価格は値下り気味であることも附加して述べた。河野弁護士は右説明に対し補償額として二〇〇〇万円の増額、補償額の前払い、立退期限の延長を求めたにとどまり、交付公債交付による補償及び差額補償条項についてはなんら異議を述べなかつた。

(三)  右申出を受けた藤枝は増額要求は拒絶し、補償額の前払いの要求については八割の限度でこれを認め、また、立退期限延長の要求については年度内処理の建前から立退補償契約上は同年三月末とするが、後日立退期限延長契約を締結する形でこれに応ずることとした(現に立退期限はその後原告らにつきいずれも昭和四九年一月一六日まで延長された。)

(四)  かくて、前記標準契約書に右(三)の補償金前払条項が加えられた上で原被告間に請求原因二記載のような本件立退補償契約が締結された。

(五)  原告らは被告から発行価額を額面一〇〇円につき一〇〇円、利率年七分、償還期限七年とする交付公債の交付を受けた後これを証券市場で売却したところ、請求原因四記載のとおり売得金を得た。

<排斥証拠省略>

三そこで、先ず各立退補償契約書二条一項補償金額の定めと三条一項二号の交付公債の交付の関係について検討する。当裁判所は、二条一項が被告が原告らに対し負担すべき補償金債務の額を定め、三条一項がその履行方法を定めたもので、被告が原告らに対し交付公債を交付することによりその額面金額に相当する被告の補償金債務が消滅するものと解する。交付公債とは地方財政法五条の三により認められた地方債の一種であるが、地方公共団体が特定の金銭債務(本件では補償金債務)を履行するにつきこれを一時に現金で支払う代わりに後年度において同額の金員を支払うことを約して引受者(本件では補償対象者である原告ら)に交付される債券で、資金調達を目的として発行される他の地方債と異なり債券自体を支払手段として交付することが認められた特殊の地方債である。この制度は地方公共団体が財政的支出を伴なう公益的行為を行なうにあたり当面財源が不足するというだけの理由でこれが実施できないとした場合これにより蒙る公益上の損失を避けるため認められたもので、反面償還を後年度以降に待たねばならない引受者のため利率も比較的高く年七分以上と定められ<証拠>また、元金償還及び利息の支払いが不確実であつては引受者へのみ犠牲を強いる結果になるから、地方公共団体はこれに関する経費を義務的経費として必ず予算上確保しなければならないのであり、これにつき地方公共団体の長の作成した予算案と議会の議決が異なり議決に従えば義務的経費の支出ができないことが予測された場合には長の再議請求及び原案執行に関する地方自治法一七七条二項及び三項が適用され、また、地方公共団体又はその長による右経費支出関係事務が適正を欠く場合には同法二四六条の二により内閣総理大臣又は都道府県知事が監督権が行使できるものと解せられるのである。それと共に交付公債の証券市場における流通性を認め引受者の早期の資金回収の要請にも応えるようにはかられているのである。このように考えると交付公債の交付によつてその額面価額に相当する補償金債務が消滅すると解することに合理的理由が認められるというべきである。なお<証拠>によれば、交付公債の発行条件は交付時の経済状況により影響を受け場合によつては額面金額以下で発行されることもあり得ること、本件では、補償契約締結の時よりも交付公債交付の時期が遅れる関係上(本件では契約締結後に立退きが行なわれ右立退き完了後請求があつた日から三〇日以内に交付公債が交付されることになる)契約時点では将来の交付時点における交付公債の発行条件の確実な予測がつき難いため交付時における交付公債の発行価額が額面金額より低いことを虞つて差額補償条項が設けられたことが認められる。

四原告らは本件立退補償契約中差額補償条項にいう交付公債の発行価額とは「時価及び発行価額」と解すべきであり、前記のように交付公債の証券市場における売却価格が額面価額より低いときは、被告はその差額を補償する義務があると主張する。

しかし、交付公債交付の意義及び差額補償条項の設けられた理由が前記三に述べたとおりである以上「発行価額」中に「時価」を含まないことは明らかである。証券市場における交付公債の売却を認める以上当然その価格の変動は予想されるところであり、現に<証拠>によれば、原被告が本件建物(一)(二)の立退きにつき交渉中の昭和四七年一〇月及び一一月当時の被告の交付公債の証券市場における価格は額面一〇〇円を上廻つていたことが認められるから、このような時期を選んで売却すれば引受者はかえつて利益を得る結果になるのである。たまたま価格下落の時期に売却した場合にいちいちその差額を補償していたのでは地方公共団体として交付公債の交付により過重な財政的負担を負うことなく機動的に公益性ある行為を行なわしめようとする趣旨が没却されるおそれがある。財産権の不可侵といえども絶対無制限のものではなく、財産権の内容は公共の福祉に適合するように法律で定められ、また私有財産は正当な補償のもとに公共のために用いることができるのである(憲法二九条二項及び三項)。本件では、原告は、制度上元金及び相当の利息の支払いが保障された交付公債を納得のうえ交付を受けることによつて正当な補償を得たものというべきであり、原告らの都合によりこれを売却し、被告が額面価額と時価との差を補償しないからといつて直ちに原告らの財産権が不当に侵害されたものということはできない。特に、本件においては前記一に認定したように、原告らは補償金支払いに代えて交付公債が交付されることを知つたうえで立退補償契約を締結したものであり、右公債を証券市場で売却すれば額面価額を下廻る金額しか入手し得ない場合もあり得ることは十分予測し得たものということができるのである。もつとも、例えばその後の予測し難い事情の発生により地方公共団体の財政内容が悪化する等して交付公債の価格が額面価額より著しく低下したような場合にあつてもなお被告が差額につき補償義務を負わないかどうかについては問題の余地もあろうが、本件において、原告らが交付を受けた交付公債の額面価額と売得金とを比較すれば、未だその事態にまで至つたものとは認めることはできない。

よつて、この点に関する原告らの主張は理由がない。そして本件においては原告らに交付された交付公債の額面価額と発行価額との間に差はないから、原告らに差額補償条項適用の問題はおこらないのである。

五原告らは、本件立退補償契約は被告の担当者が原告らに対し有無をいわせぬ態度、強制収用をほのめかす態度等を示したため原告らがやむなく締結したもので、あたかも任意に締結された契約ではないかのごとく、また、強制収用の場合と同視すべきがことく主張する。しかし、本件立退補償契約締結に至るまで長期間を要しその間に幾多の交渉経過があつたにせよ、原告らは、最終的には弁護士に交渉を委任し内容の説明を十分に受けこれに対し要望事項も申出でその一部は被告の受入れるところとなつて契約締結に至つたものであることは前記一に認定したところにより明らかであるから、原告らの右主張はその前提たる事実関係において異なり採用の限りではない。

六以上述べたとおりであるから原告らの本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。 (松野嘉貞)

別紙第一、第二物件目録省略

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